無題。

  • 向かいの席のI君がファンで、アレコレ教えてくれるので例の総選挙はけっこう気にしてWSも見てたんだけど、見るだに初期もー娘。のなっちの可愛さはネ申だったのだなあと思うオレは、ばりばり浅ヤン世代ww。
  • 感想書いてないけど、スナナレwと新参は見てます。スナナレ会の海での乾杯、ドライバーのA太はオレンジジュースで乾杯してたけど、そこはKIRINフリー使ってやれよ、とツッコんだのは私だけ?
  • 今までタマテツの良さがまったく分からなかったが、この陰に籠ってフェミニンで過剰に悲劇に浸るうっとおしいキャラ(つか刃物持ち出すのはこの流れで行き過ぎでわ)はすごく合ってて、今まででいちばん魅力的(笑)。そのタマテツの部屋のインテリアが、北欧好きオサレ女子っぽくて爆笑。しかしこのドラマ、ナカジモテ過ぎ。そしてドクターじぇじゅん君は丸首Tシャツが恐ろしいほど似合わない(笑)。
  • 週刊文春江國香織さんのエッセイ、先週の「おみその矜持」がとてもヒット。以下は自分の話なので隠します。


まず美味しい味噌を取り寄せたという枕。取り寄せるためにすごく勇気と踏ん切りがいる、と彼女は書く。

(取り寄せるという行為が何故苦手かというと)お取り寄せ、という言葉。なぜなのか判然としないのだが、私にはこの言葉が恥ずかしい。一体どういう顔をしてそれをすればいいのかわからない。

わかるわかる!たぶん普通に「取り寄せる」「通販する」と言えばいいのに、「お取り寄せする」ってww。自らの行為に「お」をつける気取りっぷりというか、お洒落っぷりが恥ずいですよね。私も何回か使ってるけど、なんか居心地悪くて最近は「通販する」にしてます。


さらに人間の「おみそ(みそっかす)」の話に。彼女は大人になって、人間関係の中では「おみそ」の立ち位置になったと言う。そしておみそにはおみその役割があると言う。

おみその矜持とは何かといえば、それは最後まで「観察者たること」だと私は思う。ときどき参加させてもらえるとしても、それはほんとうのことじゃない。「おみそ」はそこにいるのにいない者であり、その本分は、あくまでも世界の観察にあるのだ。じっと、ちゃんと、観察しつづけることに。小説家はだから「おみそ」向きの職業である。

そうそうそう〜と、激しく親近感(国民的作家にむかって偉そうにすみません)。私も生まれてこのかたずっと「そこにいるのにいない者」だし、「ときどき参加させてもらえてもそれはほんとうのことじゃな」いし(笑)どんなコミュニティも「居場所」ではない。だからその場の観察者になるしかなく、それが今の職業(小説家ではないけど文筆業の末席)には生きてるな、と唯一思えるトコです。江國さんと違うのは、彼女は周囲から愛される「おみそ」であるのに対し、私はどこからも愛されない200%の「おみそ」だということか(笑)。ま、もう慣れてあきらめてるけど。……というわけで、じゃにいずファンという集落でもわたしはおみそで、この先もずっと観察者でしょう。